XファイルNo.4 〜99' 東海村JCO臨界事故は起きた

昨日、2012-3.29の記事にあるJCOの事故を振り返ります

Q:事故のあらましと、被害にあった人たちは?
A:1999年9月、茨城県東海村で、当時としては日本が原子力を開発し出してから最大の、恐ろしい事故が起こって、2人が亡くなり、667人の被ばく者がでました。
 これは、1945年の、ピカドンと呼ばれた広島・長崎の原爆の被ばく者たち、1954年のビキニ水爆実験による漁船の被ばく者たちに次ぐ、「核」による被ばく者でした。
 しかも”核兵器“としてではなく、”平和利用“として原子力を開発してきた日本の、ふつうの街中の工場で起こったことなのです。

Q:どんな事故だったの?
A:1999年9月30日、午前10時35分頃、茨城県東海村のウラン加工工場JCOで、3人の作業員が、ウラン溶液ようえきを作っているとき、突然とつぜんバシッという音とともに「青い光」が出て警報けいほうが鳴ったの。これが臨界事故りんかいじこの発生で、3人はたくさんの放射線をあびてしまったのよ。

Q:むずかしくてよくわからないよ。もう少しやさしくして。
A:JCOという会社はもともと普通の原発で使う燃料を作っていたの。でもこのときはその仕事とは別に「核燃料サイクル開発機構かいはつきこう」というところの注文で、危険な、濃いこいウラン溶液を作っていたのよ。

 臨界りんかいという言葉がわからないわね。臨界とは、原子炉の中で起こっているような核分裂かくぶんれつ反応はんのうが次々に起こって続くこと。このときは、まわりにさえぎるものがなかったので、たくさんの放射線がそのまま出てしまったわけ。

 これで少しわかったかしら?みなさんは原子力というと原子力発電所をまず思い出すでしょう?でもこの事故はその前の、燃料を加工する工場で起こったのね。他にも原子力の事故を起こすかもしれないものは、核燃料輸送ゆそうのトラックも含めて、わたしたちのまわりにたくさんあるのよ。

Q:それでその後どうなったの? 3人のことが気になるな。
A:3人の方は病院に運ばれたけれど、治療ちりょうがむずかしく、あとで書くように2人の方が亡くなったの。
 そのうえ、初めの臨界のあと、臨界がつづいているとも知らずにすごし、22時間も工場やその周辺しゅうへんに放射線がでてしまい、決死の作業で臨界を止めた人たちや、住民など多くの人が被ばくしてしまったのね。

 放射線による事故で一番大切なことは、「早く避難ひなんし身を防ぐこと」。でも政府はこの事故を「ありえない事故」と考えていたのでなんら対策が出せず、結局、現地の東海村が午後3時に施設から350メートルまでの住民に避難するよう求め、さらに事故後12時間も経った午後10時30に、茨城県が半径10キロメートル以内の住民に、自主的な屋内退避おくないたいひ(外に出ないこと)を求めたの。その数は約31万人にもおよぶそうよ。

ここで再び映画"東京原発"の核心でかつわかりやすい映像をごらんください

▶JCOでは、どんなことが起こったか

Q:どのくらいのウランで、そんな大きな事故になったの?
A:それが、この事故は、わずか1mgのウランの核分裂で起きたことなのよ、おどろくでしょう?
 1mgは1gの1000分の1、小さじ1杯が5gだから1mgはその5000分の1よ。(ちなみに100万kW級の原子力発電所では毎日、その200万〜300万倍のウランが核分裂しています。広島原爆はおよそ1kgですからその100万倍ということになります。)
 ウランが、ほんの少しでもいかに危険なものかわかるでしょう?

Q: 亡くなった方はどんな放射線をあびたの? 治療はできなかったの?
A:放射線はこのときは、主に中性子線で、中性子線はほとんどあらゆるものを通り抜け、人の体を突き抜けると、人体を作っている細胞を傷つけたり死なせたりするの。被ばくすると吐き気・下痢げり ・発熱・リンパ球の減少・放射線によるやけど・毛が抜ける・血が止まらないなどたくさんの症状が現れるそうよ。


 二人の方は致死量ちしりょう以上の放射線を浴びて、必死の治療のかいもなく12月と翌年の4月に亡くなったわ。放射線がいかに身体の細胞そのものをこわすか、身体がボロボロになっていくか、治療がいかに不可能かについては、次の本かビデオをみてね。本当にいたいたしい記録よ。

*参考にするとよいもの
・「東海村臨界事故被曝治療83日間の記録」(岩波書店
・「被曝治療83日間の記録」(NHK)
・「ザ・サクリファイス

▶なぜ、事故が起きたのか?

Q:なぜこんな恐ろしい事故がおきたの?
A:直接の原因は臨界りんかいをふぜぐ特別の管理をしていない沈殿槽ちんでんそうというタンクに,濃いこいウラン溶液を限度を超えてたくさん入れてしまったことなの。

Q:なぜそんなまちがえをしてしまったの?
A:およそ4つのことが考えられるわ。

❶まず根本的な原因は、この種の施設では、人間が取り扱い上ミスをしても絶対に臨界を起こさない設計をするように決められているのに、それができていなかったこと。

❷また、国も安全審査あんぜんしんさをするときに、1の施設の欠陥けっかんを見過ごして審査を通してしまったこと。


❸それに、作業をしていた3人は、臨界の恐ろしさも,濃いウラン溶液が危険だということも教えられていなかったの。JCOは臨界の危険性を教えておくべきだったわ。


❹もうひとつ忘れてならないのは、「核燃料サイクル開発機構かいはつきこう」の注文そのものが無理で、この施設にあわず、作業をむずかしくし、危険なことをしてしまったことね。

Q:これからどうしたらよいの?
A:原子力は、原発でも原爆でもその基本は同じで、非常に恐ろしい被害を出すことはわかるわね。でもいわゆる原発ではないところでこういう事故が起こることは国も自治体も、ぜんぜん考えていなかったの。今までの安全神話がこわされたわけ。

 だからまず、原子力について正しい知識を持つことが必要で、事故はあり得ないではなく、万が一に備えることが大切ね。政府や電力会社は、何より安全を第一に考えてほしいし、正しい情報を市民に広めてほしい。
そして、万が一にそなえてヨウ素剤ようそざいを配布するなど防災対策をしっかりしてほしいわね。 

ー最後に亡くなった方を解剖かいぼうしたお医者さんの言葉

「もうひとつ大内さんがうったえていたような気がしたことがあります。それは、放射線が目に見えない,匂いもない,普段多くの人が危険だとは実感していないということです。そういうもののために、自分はこんなになっちゃったよ、なんでこんなに変わらなければならないの、若いのになぜ死んでいかなければならないの、みんなに考えてほしいよ。心臓をみながら、大内さんがそう訴えているとしか思えませんでした。」 
〜(NHK取材班「東海村臨界事故、被曝治療83日間の記録」より)

※記事は全て「よくわかる原子力」HPから引用しています
http://www.nuketext.org/jco.html