新年あけましておめでとうございます

みなさん初詣は行かれましたか?
私は昨年に引き続き、元旦に揖斐の三輪神社へお参りに行きました。
彼と彼のおうちで飼っている犬のぽんちも一緒に♬
三輪神社ってこじんまりしてるしすいてるしすぐ参拝できちゃう(笑)
それに去年甘酒を頂いて美味しくて、なのでまた来たかったんです。
さらにもうひとつの目的、それはおみくじです。
昨年引いた恋みくじなるものがわりと当たってるので、今年もぜひみくじにすがりたく、初詣先にチョイスしました(笑)
で、今年は恋は実ったし普通のおみくじを引いてみた。

わたし→大吉!何十年ぶりだろう…
彼→吉

面白いのがね、
わたしの恋愛→愛情を捧げよ
彼の恋愛→今の人が最上迷うな

これには2人で笑いました。
すごいですね最上なんて(笑)
それから彼は、なにかにつけて、「最上の人~」って口にするようになってしまったのでした。

一年が健やかで、平和な年になりますように。

クリスマスケーキ

わたしの子供の頃のクリスマスって、とりあえず大きなケーキをみんなで食べるのがとっても楽しみだった。
クリスマスプレゼントなんて10歳くらいからはなくなっていて、とにかくケーキがあれば我が家はクリスマスだった。イベントごとには簡素な家庭だったんです。
あとはわたしがツリーを飾るくらい。
サンタを信じて靴下を枕元において寝ても、プレゼントが入ってるなんて夢のようなことは一切なかった。

さて、今年はケーキどうしようかと思いながらも買うつもりもなく過ごそうとしたら、イブの夜に兄ちゃんから会社からケーキをもらったから男ひとりじゃ食べれないというのでいただきました。
某パンメーカーパ○コの一般的なケーキなんだけど、大味でくどいんです。
彼と2人でこんなに食べれないなと思ったら、彼は甘いものなんてほとんど食べないくせにたべきってくれました。
ケーキをこんなに食べたのは10代以来だともいっていました。

ふだん味にはうるさい彼だから、今回は残るけどしょうがないな、人様にあげるわけにもいかない。と思ってたのに何故彼は無理して完食したのかな…?

「作った人とせっかくくれた兄ちゃんの気持ちがこもっとるから残せない」
と口にケーキを詰め込んでいた。

うーん、彼ってとても男らしい、人情のヒト。
もうひとつ、来年は兄ちゃんからもらわないようにしようっと。

最後に、ケーキは甘みと酸味のバランス、ホイップの質のよさ、生地の上品さが決めてかな。

体質の変化

30過ぎたら体質かわるよ~ときいたことあるんだけど、思いあたるのが3年前からでてきました。
それはじんましんです。
肌は敏感で弱いのはわかってたんですが、32歳の夏に太ももあたりにでるようになりました。一ヶ月以内におさまったので急性じんましんとふんで病院にはいきませんでした。
33歳の夏にも一ヶ月弱でました。
それが今年の夏にはでませんでした。やっぱり一時的だったんだな~って思ってたら10月の終わり頃から手脚にかなり広範囲でるようになりました。
また一ヶ月以内におさまるかと思っていたんですが、広範囲なのとあまりの醜さに精神的にも参ってしまい疲れてしまって、医者に頼ることにしました。

薬をもらうとすぐにじんましんはおさまりました。でも薬がきれるとまたじんましんはでます。
もうこうなると、なにか原因があって慢性的になってる可能性が高いんかな?

なにか対策はないかなと思いながらも、薬でラクになる手段に頼ってしまう…。
医師に言われたのは、
「じんましんがでる前の生活にもどしなさい。」

"他人と暮らす"
これってやはり妥協やら共有やらときに犠牲をはらわないとなりません。
わたしは彼と生活するのに特に変化したことがあります。
・洗濯洗剤を変えた
・食生活が変わった
・忙しくなった

じんましんの原因は恐らくこれらに起因するんじゃないかと思います。
次回ひとつずつ詳しくみてみましょう。

次回につづく

ことりっぷ 大分県

来年の3月、親友が結婚することになった。彼女は現在愛知県にすんでいるんだけど、ふるさとは大分県。結婚式は大分県であげるそうな、めでたいね~。
ってことで大分の結婚式に、わたくし
出席することになりました。

大分県といえば、私がとても風情を感じた温泉、湯布院があるんです。
なんていうか、これまであちこち温泉にはいったけど、また行きたいと思える温泉とまでは存在しませんでした。
しかし湯布院はひと味違うというか、また来たいなってずっと余韻がありました。なによりお母ちゃんを連れてってあげたいなって考えていながら、なかなか予算が組めなくて実行できませんでした。
しかしこの結婚式の出席…。これは神からのお告げではなかろうか⁈そう考えたのと、お母ちゃんの脚がなんとか歩けるうちにとも思うんです。
予算やら結婚式の出席、仕事の影響を考えても二泊三日が理想です。
春休みなので高いんだろうかとか、予約を早めないとって考えて、先月は旅行のスケジュールであれこれ考えました。で予約しました。

ざっくりなスケジュール
1日目
→新幹線で小倉までいき、ソニックで大分まで
→レンタカー(プリウスクラス)で黒川温泉へ
→黒川温泉街を散策
→黒川温泉で泊まる

2日目
→レンタカーで湯布院へ
金鱗湖ミュージアムなど観光
→湯布院温泉泊

3日目
→レンタカーで大分市
→お母ちゃんは1人観光、わたしは親友の結婚式へ
→夕刻:大分からソニックで小倉まで、小倉から岐阜まで新幹線

てなスケジュールですが、いまのとこ2人分の新幹線・二泊三日宿泊費・3日間のレンタカー代で12万円!
あと湯布院温泉は隠れ宿なんですがお母ちゃんとわたしのオイルマッサージを頼んであります。プラス23000円ですね(笑)

確かに贅沢だしおっきな出費だけど、ふだん味わえない贅沢をしてみたいし、してあげたい。わたしはとりあえず働いてお金を稼げばいいワケです。

毎日毎日働きながら主婦業を頑張ってくれたお母ちゃんへの、ささやかな贈り物になりますように。

2人の時間

現在の彼とはほぼ一緒に生活しています。毎日毎朝毎夕、休みは月に一度あうくらいです。彼は職人さんで日曜日だけが休日だから。わたしはほぼ平日休みだし。
はじめは週に一度ぐらいだったんですが、気がついたらすみついてました、彼がうちに(笑)
わたしは独身だし独身が長いし、同棲経験もない。
他人と生活するという経験を34歳にして身に染みて感じるのは、わたしがいかにダラダラずりずり過ごしていたんだろ、ということです。
わたしは結構簡単に考えていたんです。
ごはんの買物→料理→洗い物
洗濯→干して→畳んでしまう
整理整頓→ゴミ出し→掃除
ひとりでぽ〜ってする時間がなくなる
などなど、、。
わたし彼女ってなだけなんだけど、時間の過ごし方がすでに独りじゃないんです。
この回転を持続させるの、すごく大変なんだって痛感。
あらためてお母ちゃんのパワーを思いしらされました。

わたしと彼の一日
朝早く出勤する彼にあわせて私は気持ち早めにおきます
→朝食の支度をします(メニューはおおかた卵を焼いてトマトをはさむサンドウィッチ、パンは全粒粉できちんと焼き)
→一緒に食べます
→彼は出勤→わたしは朝食の片付け
→時間があればまた寝る
→自分の水筒、昼のおにぎり準備
→洗濯 (彼とは洗剤が違うため回数が多い)
→掃除(トイレやらフローリング、脱衣所ね)
→出勤

→帰宅
→洗濯ものを取り入れる
→早く帰宅したほうが夕飯を作るかな、一緒に作るときも多い
→一緒に夕飯を頂く
→私は洗い物、彼は風呂洗い、洗濯ものを畳む
→軽く2人でランニング
→入浴
→まったりテレビ
→就寝..zzzZZ

そしてまた今日の一日がはじまろうとしています☆彡

Long time no see!

とってもお久しぶりぶりです、皆様~☆彡 元気でお過ごしでしたか?
わたしは体調の変化、環境の変化、生活スタイルの変化が激変にありました。
まずはどこから話していいのやら…。
ブログを更新したとしても、またなかなか記事がかけないなら意味がないんじゃないかと思い悩むところもあり、再開の一歩が踏み出せないでいたんです。
しかし何故か今夜は眠れない。。。んでなんとな~く記事を書き出した次第です。すみませんこんなはじまりで(汗)

まず、休刊してた理由にさかのぼると試験勉強の為でした。そうです、ファイナンシャルプランナーAFP2級を受けたんです、9月に。結果は学科は合格、実技が1点足らなくて落っこちてしまった(涙)
ちなみに提案書作成で合格は頂いているので、AFPの資格も2級が合格すれば称号獲得だったのに、あと一歩力不足でしたね。非常にざんねんぽん。しかし来春5月の試験でチャレンジしてみるつもりですじゃ!ここまできてあきらめるのはわたしが許しません。

なによりみなさんにお知らせしたいこと、それは彼ができたんです♡
だから日常生活がかなりわたしにはbusyになりました。

それではまたおいおい、毎日は無理ですが、短くてもUPしたいなっと思います。

奇跡のリンゴ


7.5にモレラ岐阜で鑑賞しました。山崎努さんの演技、渋くて素敵です。

木村秋則さんは婿養子だったんですね、そしてそちらの義理のお父さんがまたできた方でリンゴ農家だったのです。そして木村さんの奥さんも健気な優しい女性です。
しかし奥さんはめっぽう農薬にカラダが敏感に反応するほど弱かった。
それがきっかけとなり、木村さんは不可能と言われた無農薬リンゴ栽培の挑戦を始めたのです。

奥さんのカラダの調子をくる日もくる日も日記に綴りました。
村中の人々からははみ出し者扱いをされました。
無農薬リンゴを作るために、リンゴが実らない年が幾度もあり、無収入になり、光熱費が払えない生活、税金を滞納せざるおえない厳しい生活でした。
子供達3人は貧乏でもくじけませんでした。それ以上に木村さんがもうダメだと諦めたときでも、"なんのために貧乏してきたんだ!"って励ます姿にわたしは涙がおさえられませんでした。

そしてリンゴの花が咲いたのは無農薬リンゴ栽培を始めた11年目のことでした。
無農薬リンゴを成功させること、それはありのままの生態系を活かす、とてもシンプルな答えだとわかったのです。

すごく感動しました。木村秋則さんの奥さんを想いやる純粋な愛情が、このリンゴの果実には詰まっているのです。

木村秋則さんのリンゴは何年も予約でいっぱいです。