もっと遠くへ 〜 世界一カッコイイ男達

2012' 岐阜県は国体開催地であり、道路・施設の整備、期間雇用、宿泊に伴うサービス業の雇用増員、グッズ・お土産の販売などなど、ちょと経済効果で潤いつつある。
(R21沿い,古かったグランドボールは普段あんましお客さんいないけど、国体にてボーリング場の会場となるため、予算があてられキレイになったよ)
しか~し…、もっと大事なイベントを忘れてやしないかい?わたし(苦笑)

今年2012年、なんといってもロンドンオリンピック開催じゃあありませんか。

☟2008'北京オリンピックの、わたしにとって一番の喜びはこちらです

*オリンピックテーマソングは各局ありましたが、わたしはレミオロメンの"もっと遠くへ"が好き

何度見ても泣ける。何度見てもいい!みんなカッコよすぎます。(ほんとルックスもイケメンばかり)
陸上で、4継リレーで、銅メダル。短距離界では日本人は苦戦の歴史しか残せなかったんです。
しかし、歴史は変わった。日本人の短距離界初の快挙である。

塚原→末續→高平→そしてアンカーの朝原

とくに朝原選手には思い入れがあります。
世界大会で100mのファイナリストになるのが夢だった彼は、準決勝から決勝に残ることがどうしても果たせなかった。わたしも何度その瞬間を見てきたか、。これでもかこれでもかっていうくらい。そして北京オリンピックでは35歳という、陸上界で、また無酸素競技である100mでは厳しい年齢でもあるが、朝原選手にはなにか断ち切れない気持ちがあったんでしょう。陸上を辞めなかった、辞めることができなかった、そんな思いがあったと思うんです。
そして挑んだ北京での結果は、二次予選敗退だった。

わたしも一緒に悔しかった。けど朝原選手はもっと悔しかったはずです。わたしはその時、朝原さんにとって北京は最後のオリンピックとなる決意を感じた。

朝原選手はもともと走幅跳の選手です。高校3年生のインターハイで優勝しています。
わたしも走幅跳でしたが、短距離がニガテだった。でももっと強くなりたいって夢をもって、わたしはメキシコオリンピック走幅跳の選手だった小倉先生の指導を受けたいと、高校は陸上の強い学校に進学した。が、先生は陸連に選ばれ、入れ違いとなってしまった。・・・ほんと人生はうらはらです、、(苦笑)

朝原選手は大学在学中に100mで日本記録をマーク、日本一最速の男となったのです。
それから彼は、世界大会では日本代表としておなじみになったのです。


そして本当に北京最後のラストランとなる決勝、4継リレー。アメリカはバトンに失敗しチャンスだった。
バトンを繋ぐのは繊細で難しいワザなんです。反則をとられやすいとこだし。(リレーゾーン内でバトンを渡さないといけない)
また絶対に後ろを振り向いてはなりません。それは加速がおちるから、。朝原選手は恐らく日本選手では稀な、世界トップクラスの加速を持ち合わせていたと思う。
そして直線に強い、普通はカーブがあるほうが加速がつくんです。また、短距離では外国人に負けないめぐまれた肉体。

塚原選手の本番にめっきり度胸のすわってる強さ、だから抜群のスタート。

2003'世界陸上パリ大会,200m銅メダリスト(これも日本の快挙)の末續(すえつぐ)選手は、大学在学中、陸上継続危機の境遇にあり、玉ねぎ生活のエピソードはツライ。それを乗り越えて世界と闘ってきた素晴らしい逸材です。

高平選手は長身でスマート、短距離界では珍しい体格だけど、ストライド(走る歩幅)の大きな、軽やかな走りで塚原さんのよきライバルでもある。どんなときも爽やかな印象です。

最後にゴールした朝原選手のフィニッシュをみて、勝った!ってわかった。
またそばで涙している為末選手もいい。日本チームが栄光を勝ち取った歴史的瞬間だった。

金メダルより、何故かこんなに嬉しい銅メダルは、
もうニ度とないかなっておもいました。

感動をありがとうございました。