デビルズ・ダブル


*1-22 TOHOシネマズモレラ岐阜 レイトショーにて鑑賞しました。ミニシアター系な為興味のある方はお早めに♬

昔お兄ちゃんが持ってた"影武者徳川家康"って漫画、やけにおもしろくて印象的だった。だって学校じゃあそんなの習わなかった。真実かどうかわからない、目の前にいる者は虚像なのかって世界に魅了された。
そんな時代から影武者は戦(いくさ)の戦術であり、血を守る為に影武者たる者、命にかえて虚像を演じるのは当然あっただろう。だがそこにはひとえに信頼があったはずだ。
しかしこの"デビルズ・ダブル"をみると、信頼どころか選択肢さえない。あまりにも酷(むご)い、みるに耐えないほどだ。
そして湾岸戦争の背景の恐ろしいまでの権力を知ることになる。特に女性に対するウダイの生き様は信じ難く恐ろしい。


最近考えさせられるのは、報道は政治や経済界の癒着で時に虚像を作りだすのではないか?
逆に表現の自由に忠実である映画の世界は、真に報道してるんじゃないかってことをよく思います。
真実を伝えるに自己資金でも製作できる、スポンサーがいなければ怖がることがないからです。まあ放映できるかどうかって議論もあろうとは思いますが。いい例に"ボーリングフォーコロンバイン"のマイケルムーア監督がそうだ。

ラティフさんは現在でも悪夢にうなされ、市民権も得ていないという。パスポートさえ無いラティフさんが今回日本に来日した理由、それが明確にインタビューから感じ取れる。イラク国民が抱く日本人への思いがこんな形でわかるなんてね、湾岸戦争当時こんな報道を果たして私達は耳にしただろうか。
彼の表情をみると、悪の権力に疲れ果て、死さえ楽であったはずだと誰もが汲み取れる、だけどそれでも生きている。何故なんだろう?
ラティフさんは最後に一言述べています、唯一の幸せは家族や友人だって。
しかし家族をもちながらもいつ誰に殺されるかって恐怖は常にあるはずです。家族でさえ標的になりうる中の生活、あなたなら耐えられますか?

ラティフさんが出版した本、そしてこの映画は確かな真実だと思います。
何故かって?
--命の尊さよりも、真実を伝えることを選択した人間じゃなきゃできないことだと思うからです。